へんなおばさんという印象だが、岡本太郎を生み育てたというだけで、とてもエライ人。岡本かの子 - Wikipedia: "岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。
かの子が小説に専心したのは晩年の数年間だった。1936年、芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』で作家的出発を果たす。パリに残した太郎への愛を、ナルシシズムに支えられた母と子の姿で描いた『母子叙情』、自由と虚無感を描き、当時の批評家に絶賛された『老妓抄』、女性が主体となって生きる姿を、諸行無常の流転を描いて確立させた『生々流転』などは代表作となった。1939年、油壷の宿で脳貧血で倒れ自宅で療養していたが、2月に入って病勢が急変、2月18日、49歳で死去。"
息子(太郎)宛の手紙にこんな文章がある:
えらくなんかならなくてもいい、と私情では思う。しかし、やっぱりえらくなるといいと思う。えらくならしてやりたいとおもう。えらくなくてはおいしいものもたべられないし、つまらぬ奴にはいばられるし、こんな世の中、えらくならなくてもいいような世の中だからどうせつまらない世の中だからえらくなってくらす方がいいと思う。
とても正直な人だった。
おいらと岡本かの子の作品との出会いは、びっくりするほど昔である。小学校の時にみたテレビドラマ。腺病質の子供が好き嫌いが激しく特に魚は食べない、心配したお母さんは子供の好き嫌いを直すために自宅でにぎり寿司を作る。最初は子供が好きな卵焼き、次に「白い卵焼きだよ」といってイカ。子供はなんか面白くなって嫌いな魚を食べるようになると言ったようなお話しだった。ずっと年月がたって、このお話しの原作は岡本かの子の「鮨」だったと言うことがわかった。
ちなみにこのドラマを見ての散人の感想だが、子供を騙すとはケシカランというものだった。おいらも当時は魚は大嫌いだったから。
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